ムドラと瞑想、人間の存在意義
瞑想とは
この問いについて本質的に語るうえで、大切なことを先に話します。
私たちの存在も含めて、この世に存在するすべてには目的があります。
しかし、今この瞬間に存在する自分自身にとって目的は持たずに、自己の欲求を満たすことを目標に生きています。
これは宇宙に存在する生物としてだけでなく、存在する物質元素も素粒子も暗黒物質も等しく持たされた性質であり宿命です。
約40億年前の地球で生まれたLUCA(最終不変共通祖先)からはじまり、地球上に大量の酸素を創り出したシアノバクテリアという細菌類と同じ原核生物も、全く同じ目標で生きて環境の変化に適応しながら進化してきました。
環境による進化とは、欲求を満たしたい「自己」という本体が、環境の刺激によって複雑で高度な細胞核へと変化していき「自己を拡大し組織化」してきたことを意味しています。これは、自己を満たす本体の自己自身を、複雑でしなやかで強靭な身体に進化させたということになります。
環境による進化は個体それぞれに独自性を生じさせ、多種多様な生物の個体発生という150万種をはるかに超える系統発生を自然の法則によってこの地球上にもたらしてきました。
現在のところは人類が最終的な生物的進化ではないかと思われます。そして、人類は地球上で初めて意識とは違う「自我意識」という心が発生した生物です。人間以外にも、我々が持っている自意識を持っている生物は存在しています。
人間の自意識との大きな違いは、外的環境の変化による世代交代時に遺伝情報が更新されることでしか起こらない進化か、個人の一生において内的環境を自由に変革することによる意識的進化を可能にしている生物かという点です。
これは、自意識を意識的に成長させること。つまり、意識的に心を成長させることが可能な脳を与えられているということになる。本来の瞑想という言葉の意味とは、サンスクリット語のディヤーナという自意識の在り方を状態で表したもので、自我意識の無効化であり、エゴを超越した意識状態をいいます。
エゴとは自我の欲求を満たすためにあるが、自我意識の無効化は、言い換えると自己認識の領域を拡げ続けるほかに道はないのです。そして、これが瞑想とはなにかという問いに対する見解であり「心を精神的に成長させること」という目的のためにあるということなのです。
一つの受精卵が細胞分裂を繰り返し複雑化しながら自己を拡大し続け、複雑化したそれぞれの細胞たちは自己を組織化し、全体を制御する中枢の脳幹と大脳辺縁系を自己化し、この肉体的自己の大脳辺縁系はさらに心の個体的な発生へと進化して来た。
そして自己の領域を無限に拡げる肉体的な発達を超越するしくみとして、大脳新皮質が巨大化し、高次認知機能(メタ認知)という永遠に善の心で生きる存在へと進化していく。これが真の人間的な自我の目覚めといいます。
その先にあるのは、肉体的な自己組織化を超えた領域へと進み、精神的な自己組織化、つまり、人との間にある障壁を無効化して他者を自己化していくこと。
心に寛容さが育まれていくしくみだ。
これは、障壁のない人との関係性を現実化できる自然法則との共存であり、神との共同作業でもある。人々との調和は、意識的な共通意識による認識の拡大ということと同じです。
瞑想とは、自己犠牲感を緩和させながら、このように意識的に自己の認識領域を拡げることによって、個人が人類の永続性実現の欲求を持つことで自身が幸福を永続的に感じられる状態になることである。
ムドラ瞑想について
古代インダスを起源に発達してきた、身体に宿っている脳の各部位の性質と手指との反射関係を利用したムドラ瞑想テクニック(バイオフィードバック技法)。
◆ムドラの基本的なしくみ
自分の意思で動かせる(随意神経系)手指を使い、それぞれの指に宿っている五元素の性質から生じる反射区のしくみを利用し、自分の意思では動かせない(不随意神経系)身体と心へ、それぞれ固有の波動を感じさせて従わせること。
自らが自分自身を指導教育する、聖なる力のしくみを利用したセルフコーチングです。
それは心の成長を促す瞑想の質と精度を高めるためにあります。
そして瞑想の質が高まると、人間としての品格も、神性をまとう霊的な成長を促すことになります。
手指を特定の形にすることで、反射区という脳幹とつながっているしくみを利用します。誰にでもすぐわかる簡単なものから力を加える指の方向性や心の意識の向け方など、詳細な指導が必要なものまでたくさんあります。
人間だけが持つ大脳新皮質系という知性脳は、脳幹に蓄積された宇宙の根源的な種子に秘められた記憶や法則を活用し、大脳辺縁系という感性脳である私たちの心の成長を促します。
このプロセスを通じて、社会の福祉という全体の幸福のために自己犠牲を超え、自己を満たし幸せに生きる力を手に入れることができます。ムドラ瞑想法は、人生を最良のものとして生きるためのテクニックとして生まれ、時代を超えて発達してきました。
最終目的は、真の自由意思を獲得し自身の心を無限に成長させて、神との合一、神の与える意思と被造物の受取る意思の合一、生命としての意思を持ちながら無限の可能性とよろこびを受け取ること。
我々は、肉体として存在しながらも、無であり、しかしまた無限の可能性をもつ存在なのだと、知的な理解を超えた心から理解できる感覚を獲得するために在るのです。