新年あけましておめでとうございます。
皆さまのおかげで無事に年を越すことができましたことに感謝しています。
本当に、本当に、ありがとうございました。
昨年は私自身にも皆様も様ざまな出来事がありました。
なかには絶望を感じた方もいらっしゃるでしょう。
しかし、今、何かを感じることができる存在である自分を観ることができているのならば、それは絶望の淵という暗闇に浮かぶ光を感じはじめているのです。
自ら自己のあり方を戒めることは、生物、物理学的でいう進化系という全宇宙の生命システムとして生きる道へ向かっているのです。
私たちは、感じる生き物です。
外部から流れてくる情報を受けて、心が反応して様々な感情があらわれて心が変化します。
変化した心の状態で、喜びや悲しみ、怒り、憎しみなどの感情に支配されて思考し、行動するのです。
しかし、私たちの大脳は素晴らしいしくみで進化してきました。
この感じることと、感じる自分を認識する自己が人間の脳へと進化したのです。
そして、この感じる自分の感性を認識するだけでなく、自らが感じるためのすべての感覚を環境の力を活かして「育てる」ことができるように進化の道を歩んで生きることができる可能性を秘めた存在、それが人間なのです。
感じる感性を育てることによって、私たちはどのように変化するのでしょうか?
端的な言葉であらわすならば、「すべてを喜びとして受け容れる存在へ進化する」ということになります。
苦しみを喜びへ転換することは容易くありません。
人の意志だけでは、自我の苦しみに耐えられなくなり生物の本能である生存本能が機械的に始動します。
生存本能には、大きな2つの衝動的な力があります。
闘争衝動と、逃走衝動です。
思い込みではすべてを統合できない状況になるからです。
対話はそのためにとても有効な手段ですが、正しい対話方法の知識がないと互いのエゴによって、前述した2つの衝動が自動的に発動してしまいます。
人が持つ本能という自然法則を活かして生きることは、しくみを司る存在、すなわち進化系のしくみという存在として生きることなのです。
進化の一部として生きることは、苦しみを伴いますが、同時に喜びを受けとることができるとても大切なことです。
私たちの自我意識が、八十億分の一としてなのか、一分の一という存在なのか、、、。
分離した個別の魂として感じるか、融合された一つの魂として感じているかで、その喜びを受けとる深さと大きさは比較できる言葉が存在しないほどです。
昨年の反省とともに、感謝の気持ちを大切にして、今年も皆さんに喜んでいただける様々なサービスを提供していきたいと思います。
本年もどうぞよろしくお願いいたしますm(__)m
令和3年1月1日 長崎正広